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やさしい科学百科35 〝生命の条件と食塩"

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月刊ボディビルディング
掲載日:2022.02.03
畠山晴行
<プロローグ>
数年前、私は出張の旅すがら同行の初老紳士から、塩にまつわる多くの話を聞くことができた。
彼は日本専売公社で長いあいだ塩に関する仕事をしてきた人で、その後ある企業の経営者として第二の人生を歩んでいた。

「敵に塩を贈る」という武士の美談やサラリーと塩(ソルト)は、語源が同じであることなど、雑学的なことは書物などから私も学んでいたが、塩に人生を捧げた人から授かった多くの情報は、列車の揺れとともに私を楽しませてくれた。
健康のためということで減塩運動が行われて久しいが、御多分にもれず食塩が健康とどのように関わっているかについても巷では表面的にしか語られていないというのが現状のようである。

出張から帰ってすぐ、土曜の休みに知人のN医師を訪問した私は、そこで減塩と戦い疲れ果てた人をみた。ちょうど40歳になったばかりというその男性、傍目にも元気を失って、ひどくやつれてみえた。
彼の両親はともに高血圧、脳卒中で亡くなっている。そしてここ3年ばかり彼自身も血圧が気になっている。さりとて薬はいやだ。高血圧は減塩の食事で治る、そう信じて食塩や醤油をできるだけ控えた食事を続けているという。でも思うように血圧は下がらない。
彼は恐怖の毎日で、なんとかよい食事療法はないものかと相談にきたのである。N医師はとりわけ栄養学には詳しい。それを講演で知っての相談であった。

話の中でわかったことだが、相談に訪れたその男性は玄米菜食をしばらく続けている。卵や肉はもちろん、牛乳もひかえ、動物性食品といえば、わずかに小魚ぐらいだという。確かに塩分も少なかった。
「本態性高血圧」と呼ばれるものは、遺伝に大きくかかわっている。おそらく相談の男性の場合もそうであろう。N医師の結論はこうだった。
「厳しい減塩、たとえば1日に3g以下に抑えるとかすれば今よりも血圧は下がるかも知れない。しかしそれでは食事の楽しみもなくなるし、体ももたないでしょう。何よりも、今のあなたの血圧は思っているほどのことはないから、塩分は控えめにしながらも十分に栄養を摂ることを考えたほうがよいでしょう。
動物性食品を摂らなければ、タンパク質が不足がちになります。そんな食事を続けていれば、そのうち血管も弱ってくるんですよ。脳の血管が弱ってパンクしたらどうなりますか?もしも、このままでまだ血圧が上がるようだったら、またいらっしゃい。場合によっては降圧剤を使う必要があるかも知れません。
でも、よく考えて下さい。昔に比べて脳卒中はずいぶん少なくなっているんです。これは何も、減塩のPRだけじゃないんですよ。食事の内容がよくなったこと、タンパク質が増えたことなんかも関係してるんです。それに薬、降圧剤です。
薬と聞いただけでめくじらをたててはいけません。そのおかげでどれだけの人が救われたか。もちろん、使うにしても必要最少限ということは重要ですが。
ともかく、おかしな食事療法にふりまわされないようにして下さい。表面にあまり出ないだけで、おかしな健康法で命を縮めた人は何人いるかわからないですよ」

高血圧は食塩のせい、そう決めてかかる人は少なくない。それに、動物性食品も悪玉にされることが多い。巷の誤った常識である。
個人個人の体は同じようにみえても、姿、形ばかりでなく体内の生化学的特性もそれぞれ異るものだ。それを忘れてはならない。

<1>東洋の神秘、マクロビオテイックの正体は?

少しまわり道になるが、巷の食事療法に関する話をしよう。「正食」と呼ばれる玄米菜食の食事療法の考え方の批判から試みる。
なぜかといえば、プロローグにみられるよう、その影響は非常に大きいものであり、また間接的ではあるが、食事に気遣う主婦たちの間にも、その誤った考え方の一部が入り込んでいるからである。

―正食の秩序―

そもそも、「正食」と呼ばれる玄米菜食の食事療法は、陰陽五行説(占いなどのもとになっている考え方)を基としている。陰と陽に食物を分けて、そのバランスが大切だと説いているのであるが……。
陰陽五行説は6世紀ごろ中国から日本に伝わったものだが、これを森羅万象、分子レベルから宇宙秩序にまで話を広げ、最終的に健康法、栄養学に結びつけたのは、桜沢如一氏であった。

桜沢氏は昭和41年、71歳で没しているから「正食」もそんなに長い歴史をもつものではない。昭和17年に氏は「新しい栄養学」を著しているが、昭和56年に復刻再刊(日本CI協会)されているのでその一部を引用してみよう。
「"何が何でも"やりぬかねばならないこの皇国空前の大事業"大東亜戦争"。世界新秩序建設に、何よりも必要な全国民の健康戦線の確保、前進、向上と、その為に必要な正しい食物の知識が、この方法より他には絶対にないという確信をもっているからであります」

戦争のさ中であることが、まのあたりに感じられる。引用のなかに"世界新秩序建設"とあるが、これはどうも桜沢氏の思想につながるものであるらしい。
桜沢氏の志を継いだ久司御知夫氏の「マクロビオティック健康法(日貿出版社)」には、次のように書かれている。「桜沢如一は、その生涯のあいだに宇宙秩序のほぼ全域を論じつくし、それを食生活をはじめとする生き方全般に応用した」
それぞれ短い引用であるがいかがであろう。大東亜戦争に勝って世界新秩序を建設するために、自らの新しい栄養学がどうしても必要だと説いた桜沢氏が宇宙の秩序のほぼ全域を論じつくした偉人なのだという。

―陰陽の逆転―

マクロビオティック健康法を読むと頼もしくなるぐらいスケールが大きい。
分光器によって検査した色の波長で、各元素の陰陽を決定している。たとえば、酸素(O)は陰性、水素(H)は陽性、ナトリウム(Na)は陰性、塩素(C)も陰性といった具合である。なにやら、ややこしい。ちなみに、化学でいう陰イオン、陽イオンとはいっさい関係ない。
別のページの「食物の一般的陰陽分類」の表をみると、ナトリウムが多いもの、あるいは塩などは陽性ということになっている。陰陽逆転である。

塩、つまり塩化ナトリウム(NaCl)は、食物では陽性。しかしNaもClも、元素では陰性であったはずだ。元素のほうの表の説明には次のようにある。
「この表で軌道の反対側に位置する元素は、陰陽の牽引しあう原則どおり容易に結合することができる」だとすれば、NaもClも陰性だったら食塩(NaCl)など、簡単にできるものではない、ということになる。

ことほどに宇宙秩序から栄養学まで論じきったというこの陰陽論は矛盾に満ちている。生命の鍵ともいえる遺伝物質、DNAについてはこうである。「デオキシリボ核酸(DNA)などの化合物は、陰と陽の元素を交互に積み重ねたものである」
いろんな分野の専門用語がポンポン飛び出すが、支離滅裂、何を言いたいのかさっぱりわからない。

―玄米食の構成―

食事構成は次のようになっている。
(1)現代型植物種の完全穀類とその加工品を50パーセントか、それ以上。

(2)現代に近い植物種の豆類、種子類とその加工品を10~15パーセント。

(3)海陸植物と、現代、古代、原始の海にあたるスープ類(古代海水に相当する)を25パーセント以下。

(4)水棲の動物種を15パーセント以下。

(5)穀類についで現代的な植物種に相当する果物と、その加工品をまれに少量。

(6)もっとも原始的生物生命である酵素およびバクテリアは、発行食物の形で少量とりいれてもよい。
各項それぞれについて更に具体的説明がある。たとえば「魚介類、及びほかの動物性食品は、とらないのが望ましいが……」など。

――癌も消える――

また、この中には「マクロビオティックで癌を追放せよ」など、強気なことも書かれている。何の根拠で分類したかは明らかではないが、病気にもそれぞれ陰陽があって、それをまとめた表だけでも10を超す。
陰性食品の摂り過ぎによる癌もあれば、陽性のものもある。後者の説明は、「陽性食品が原因となる癌は、肉、卵、チーズ、塩、とくに動物性食品とともに使われた塩の摂りすぎによる」と説明される。

「高血圧?あなた、きっと塩分の摂り過ぎね。それに動物性食品もいけないのよ!知ってる、そんなことしていたら、そのうち脳卒中かガンで死んでしまうわ。今度いい本を貸してあげるわ」
こんなおせっかいを焼く人もいる。「マクロビオティック健康法」は、欧米で出版された(6ヵ国語で出版されている)The Book of Macrobiotics:The Universal Way of Health and Hapiness」の日本語版。
このところ欧米の一部では、マクロビオティック健康法がブームしておりその講演には列をつくってならぶほど人が集まるそうだ。東洋の神秘?――これが逆輸入され、日本でも流行しそうな気配となってきた。

――食事は重要だが――

医食同源、食事と健康は分けて考えることができない。かつて米国上院の食事と疾病に関するマクガバン報告が世界をおどろかせたことは記憶に新しい。しかし、断片的な情報の寄せ集めや根拠のない健康法にどっぷりつかってしまうのは危険。
「マクロビオティック健康法」に書かれてある次の文は、食物のみで健康がつくられるという思い込み、食品添加物などに異常なほど神経をとがらせるという、どこにでもいそうな人達の考えに一致しているようである。

「染色体内のDNA分子が、RNA分子とともに多数の遺伝子を抱えているとはいえ、摂取される食べ物によって胎児が順調に育つかどうかも決まってくる。胎児期に決定された体質は、この世に生まれ出て死に至るまで、その生命の基盤となり、人生の色合いまでを決定するのである」
「マクロビオティックで癌を追放」ということも含めて考えると、胎児期に決定されるという体質は、"体質改善"の名のもとに軌道修正できる期待を持たせている。話があまりにもうますぎる。

<エピローグ:その1>

一時、難病にかかった子供がいる。やがて、それは治ったのだが、その母親は看病の苦労とともに、食事の間違いを指摘され、悩みぬいたという。
その病気について、私がたずねられたとき傍にいたもうひとりの婦人が「それなら〇〇先生のところへ行けばいい」と声をかけた。
〇〇先生は、やはり陰陽を主張するひとりで、傍の婦人はその信奉者。話にでた難病の病名さえも知らず〇〇先生をすすめる婦人は、決して悪気があるわけではなく、親切心なのだろう。しかし、私は心痛む思いであった。

<エピローグ:その2>

「彼女は膠原病(筋肉や臓器をつないでいる結合組織が冒される難病)に苦しめられ、ステロイドホルモン治療を止むことなく続けています」
「彼女もまたダイエットの犠牲者でした……。すでに自己の体のなかで、ホルモン造成ができなくなったこの少女は、まるで『壊れたグラス』のようでした。もっと早い時期に、なぜこの少女は私との縁をつくれなかったのでしょうか」

これは、鈴木その子さんの「食因病に克つ(小学館)」のまえがきからの引用である。
コラムを書いている美霜さんは、同様の若い女性を知っている。膠原病のその患者さんを思い出し、怒り心頭。ダイエットで膠原病になるなんて、いったいどこから導いたものやら。
ステロイドホルモン療法についての考え方も大間違い。体内でホルモン造成ができないため、などというのは、無知による短絡的発想でしかない。
次号では食塩と高血圧について深く堀りさげることにする。
月刊ボディビルディング1986年9月号

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